「跡」で作る造形
商品番号 | tk007602 |
商品名 | 笹島友紀子さんの小壺 |
価格 | 銅-A:37,800円 |
限定数 | 各1個 |
サイズ | 銅-A:Φ約70mm×H約73mm |
素材 | 銅の各種:銅 |
支払方法 | 銀行振込・クレジットカード決済(PayPal) |
送料 | |
納期 | 1週間程度 |
備考 | この商品は返品不可とさせていただきます。 |
バイヤー | mikayama |
半年前の出来事
寒くなってきて、もう冬到来かな。という時期にアレですが、今年の春の話題を。
今まで触れずにきましたが、5月末に「松本クラフトフェア」に行ってきました。日本最大級のクラフトのお祭りです。
松本クラフトフェアでは屋外に出展者がテントを持ち寄って思い思いに展示を作るので、だいたいの方が明るい環境で展示されているのですが。その中に一際、暗いテントがあったんです。多分、屋根の生地の材質とかの問題だと思うのですが、本当に暗いんですね。で、そういうものにどうしても惹かれてしまうので、ふらふらと寄っていくとぼわっと光る小さな塊があって、「なんだこれは?」と手にとったのがこの小壺たちです。
もちろん、すぐにでも取り扱わせていただきたいと思い連絡を取らせていただいたのですが、なんせ場所が石川県でして。。。
基本的に密買東京では作家の方の制作されている場所に伺ってお話させていただいて、初めて取り扱わせていただく、ということを旨としているのでこんな時期になってしまったというわけです。
早く行けよ、という話なのですが。。。
コツコツしたかわいい小壺
銅-A:37,800円
銅-B:32,400円
銅-C:32,400円
宝石
作者は笹島友紀子さんという方です。
話を聞いてみると、この小壺を取り扱いたいと言ってきたのは私たちだけのようで。やっぱり少しマニアックなのかな、と妙な感慨にふけりつつ、工房で作品の説明をしていただきました。
やはり、記憶に残っているのが笹島さんの実際の制作風景。
そもそも笹島さんが小柄で、作る小壺はさらに小さく、それを体を小さくして作るから、ということもあるのですが。コンコンコンと金鎚を打つ様は、何かをそこに込めていくようで。
その一つ一つ打つたびに少しずつ形を変えていく小壺は、なんだか宝石のように見えてくるんです。確かダイヤモンドって地下奥深くの岩石に含まれているんですよね。なんかそんな感じというか。。。
なんか言葉が変になってきました。。。
金属の商品を扱うときはいつもそうなんです。。。
銅-D:37,800円
銅-E:32,400円
金属ってちょっと違う
実は、僕が金属の商品を担当するのは2回目になります。
1年ほど前に成田さんの鉄のフライパンを扱って以来なんですね。その際、「なぜ好きなのか分からないんだけど、なんか好きだ。」という訳の分からないコラムを書きました。もちろんデザインも魅力の一つだったような気がします。だけど、好きな理由はそれとはまったく違う種類の何かだという確信がありつつ、それが何か分からなかったんです。
そして、今でもはっきりとは分からないのですが、この笹島さんの制作風景を見てなんか少し気づいたんです。多分、キーワードは「込める」とか「跡」とか。なんかそういうことです。
そもそも、金属って他の素材に比べてちょっと異質な素材だと思います。
確かに、土、木、プラスチックなんかの素材と同じぐらい身近にあります。ただ、プラスチックなんかの工場で作られる素材(?)ではなく、自然にある素材で今まで自分で加工したことがないもの。それが金属のような気がします。もちろん切ったり貼ったりはあるのですが、打って鍛えて成形していったことがありません。
ただ、ここ1年。こんなことを生業にしてから、ちょこちょこと作っている現場を拝見させてもらったり、実際に打たせてもらいました。そのほんのちょっとした経験から。
まず、最初の感想。思ったより金属は軟らかい。といっても、スポンジのような軟らかさではなくゴムっぽい軟らかさです。コシがあるというか。
あと、打ったときに当たり前ですがちょっとずつ形が変わります。というより、跡が残るという感じですが。刀鍛冶のようなダイナミックなイメージがあると思うのですが、実際はすごく緻密でコツコツとした作業です。
僕の中での金属のイメージって以前はツルッとしていて冷たくて硬いものだったのですが、どうも軟らかいしツルッとしてもいない。こんな二面性を持ち、それゆえ馴染みがあるようで理解がとても低い、不思議な状況が自分の中で混乱を招いていた原因のような気がするんです。
銀-F:43,200円
銀-G:37,800円
銀の小壺の裏は真鍮で閉じてあります
銅とは思えないこの質感
やっぱり分からない
そして、本題。
何に僕は惹かれているのか?
多分、硬いはずの金属に残る「跡」のようなものの気がします。傷ということではなく、その「跡」自体が造形なのですが。僕の昔のイメージは金属自体が硬いものだったし、それが叩いて形作られる、ということを知識として知っていても、実感としては成型で作る工業製品の一つだったんです。そういう状態のときに金属の作品を見ると妙な違和感と魅力があって。
今思うと初めてだったんですよ。「跡」だけでできている造形物というのが。叩いた跡。打った跡。もちろん全ての造形が何か行為を行った跡だ、という言い方もできるのですが。。。「叩く、硬い金属、跡」の関係性に惹かれるというか。
金属だったらなんでもいいわけじゃないんですよ。金属で造形しましたグニャグニャイエーイ、みたいな作品が本当に多い中でデザインを最小限にして「跡」を見させてくれる作品って本当に少ないんですから。
と、まだまだ分かりづらいんですよね。正直。
僕がまだ理解していないからなんですよ。だからうまく説明できない。
うーん。。また1年ぐらいかけて考えてみようと思います。金属のこと。なんか琴線に触れるんですよね。何でなんだろう???
誰か何か分かったらぜひ教えてくださいな。
石川県のこんなのどかな街でした
叩きます
たくさんある金槌と鑿を使い分けて「跡」を残します
そんな笹島さん