お母さんと息子の服
商品番号 | tk028303 |
商品名 | Uncle of the sun |
価格 | Uncle of the sun:¥234,300 |
限定数 | - |
サイズ | > サイズ表 バッグ(2点とも): |
素材 | Uncle of the sun: |
支払方法 | 銀行振込・クレジットカード決済(PayPal) |
送料 | |
納期 | Uncle of the sun、Dumpling than flower、Joyous goldfish: |
備考 | この商品は返品不可とさせていただきます。 |
バイヤー | チバ |
衝撃のコラボレーション
ヤバいぐらいに面白い。
そんなブランドとの出会いがまた一つ。
なかなかにパンチの効いた、この見た目の楽しさにもちょっと衝撃を受けたのですが、驚いたのはそこじゃない。
面白いのは、このブランドの服作り。
そのプロセスがヤバいのです。
ファッションから遠く離れたところに身を置くボクにも届いた、この衝撃波。ファッションに興味のある人もない人も、きっと楽しんでもらえるはず。そう思ってお届けします。
なんと、この服をデザインしているのは、お母さん。
兵庫県在住、普段は家事をしている、いわゆる普通の「オカン」、なのです。
服づくりを学んだわけでもなければ、デザインのことも、ファッションの世界のことも、何も知らない普通の主婦。
そんなお母さんがデザインするブランドが、名だたる有名ブランドと同じ場で発表され、イタリアのデパートでショーウィンドウを飾り、ヨーロッパのコンペティションにノミネートまでされている。
なんだか、すごいことになってます...
Uncle of the sun
「アクリルたわし」の要領でパーツを作り、つなげて作られるそうです。
Dumpling than flower
ブランドはユニセックス。男性モデルが着ているので独特な雰囲気になってますが、女子が着たらかわいくなりそうな服も多いのです。
Joyous goldfish
どの服もインパクト十分。
母と息子、二人で作るブランドです。
お母さんの服
母と息子。
二人が手掛けているのが、このブランド「RYOTAMURAKAMI」です。
といっても、最初から二人で活動を始めたわけではありません。
もともとは一人で服を作っていた、息子の村上亮太さん。専門学校を出た彼が、アシスタントとして働き始めたのは、このサイトでも何度か紹介しているブランドで、ボクも個人的に大好きなwrittenafterwards。
そして働く傍ら、writtenafterwardsのデザイナーである山縣良和さんが開いているファッションの学校、「ここのがっこう」でも学び始めます。
自分らしい服作りを見つけようと、試行錯誤を繰り返す日々。その中でたどり着いたのが、子供の頃に着ていた服。お母さんが作ってくれたような服を作る、というアイデアでした。
とはいえ、思いついたはいいけれど、なかなかうまくいかずに悩んでいた村上さん。そんなとき、山縣さんが掛けた一言が、村上さんの服作りを一変させるのです。
「お母さんにデザインしてもらったら?」
さすが山縣さん。
Cherry sweater
2014年に発表された2nd collectionから。
Cherry on the one-cup
同じく2nd collectionから。
Cherry sweater
Cherry on the one-cup
2014年の2nd collectionは、若手デザイナーを集めたプロジェクト「東京ニューエイジ」として、渋谷の文化村通りをジャックするような形で発表されました。
実は単純ではない、「事情」
村上さんが「お母さんの服」を作ろうと思ったのは、単なる郷愁でもなければ、懐古趣味でもなく、もちろんマザコン的な性格からでもない、はずです。聞いてないけど、たぶん。
それは出来上がった服たちの、インパクトのあるこの姿を見れば一目瞭然。
というか...
実は、村上さんはお母さんの作る服が嫌いでした。イヤでイヤでたまらず、とうとう不登校になってしまうほど。
なぜかといえば、お母さんが作る服にはリボンが付いていたり、花があしらわれていたり...
つまり女子っぽい服だったのです。
もちろん、村上さんは男子。
ではなぜお母さんは女子っぽい服を作り、それを息子に着せたのか? その理由は、今でも分からないそうです。
ただ、当時小学生だった村上少年にとって、それは耐えがたい苦痛でした。
小学生の頃といえば、「他の子と同じ」であることを、理由もなく求めてしまう年頃。他の子が持っているおもちゃは、自分も持っていないと仲間外れにされるような気がするし、ゲームも、マンガも、他の子が持っていれば、自分も欲しい。
見た目を決める服は、その最たるもの。
他の人と違うものや目立つものより、仲間から認められる服、同じような服を着たいと思ってしまう年頃です。
しかも人と違うばかりか、リボンまで付いていたとなれば、その苦痛がどれほどだったかは、想像するに難くない。
そのトラウマともいえる心理状態から、後に村上少年は見事に脱し、その成功体験が彼をファッションへと導くことになるのですが...
しかし逆に、わが子が不登校になった理由が、自分の作った服にあったのだと後に知った母は、それから何も作らなくなってしまうのです。
そんな母との過去を服にして昇華させたいという気持ちもあったのかもしれない。
お母さんの服を作ることを目指した理由を、村上さんはそんなふうに振り返ります。
Uncle of the sun
記念すべき1st collectionの服たち。
Dumpling than flower
Joyous goldfish
飛躍のための装置、「お母さん」
「お母さんが作る服」を世界に認められるものにしたい。そのために、かっこいい服にして世に出していきたい。
村上さんが目指す服作りの背景には、かつて傷つけてしまった母に対する思いがあるのだそうです。
でも、それはこのブランドの服作りを説明するほんの一面にすぎないことは、この服たちを見れば一目瞭然。
むしろ本質は、創作の過程における飛躍力にある。そういっても過言ではないでしょう。
ファッションについて勉強をしたこともないお母さん。それどころか、服づくりの専門知識があるわけでもなく、モードの歴史や、トレンドについても、一切の情報から隔絶されている存在、お母さん。
彼女が描くデザインは、服づくりの常識や、ファッションの文脈からはとうてい出てくるはずのない、思いもかけないものばかり。
それは、もちろんそのままでは価値のあるものにならなかったり、服にすることすら難しいものがほとんどです。
それを息子の村上さんがなんとか服の形に落とし込むことによって、人々の想像を軽々と超える服が生まれる。
その破壊力こそが、このブランドのすごさだということは、誰の目にも明らかでしょう。
ちなみに、お母さんはその後、休止していた手芸を再開。編み物を中心にいろいろ作っているのだとか。
デザイン画もたくさん書いてくれるそうですが、基本的にそんなに乗り気ではないそうで、「やったことないからなー」というのが口癖。でも、息子の頼みには応えてくれるそうです。
それだけでなく、作品に使われるニットの部分も、お母さんが編んでいるものがかなりあったり、相談すると編み方も提案してサンプルまで作ってくれたり。
今回紹介するのも、お母さんが編んでくれるニットを使った作品を中心に考えたラインナップ。
どうやら、ブランドのお母さん比重はかなり高そうですが、今でもファッションの世界にはほとんど興味を示さないのだとか。
でも、そんなお母さんは福山雅治の熱烈なファンで、いつかグッズ製作の依頼が来る日を夢に見ているそうです。関係者の皆さん、ご覧の方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報を。
二人の歩みは、ブランドのサイトでも綴られていますので、お時間があればこちらもお楽しみください。
Joyous goldfish - bag
Cherry - bag
服作りのスタートは、お母さんのデザイン画から。
これを単純に服にするだけでなく、要素を抜き出したり、部分的に使ったり。悩みながら服にしていくそうです。流行を超越したデザインなので、すぐに使わずに別のシーズンに使われることもあるのだとか。